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一般社団法人日本話しことば協会
📞06-6868-9777
平日10時~17時

普段使っている 或いは 聞いている言葉で あれ? と気になる日本語について
“ことばおじさん”こと元NHKアナウンサー梅津正樹(うめづまさき)先生に聞いてみましょう。
皆さまからの気になる疑問をお待ちしております。梅津先生からの回答は直接皆さまにお届けします。
またご質問いただきました内容は『皆さまからのQ&A』に匿名で掲載されることがあります。
予めご了承のほどよろしくお願いいたします。
ご質問はこちらの質問箱からお願いいたします。
ことばおじさん
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「とんでもない」 という語を丁寧な表現として 「とんでもございません」 という言い方にした例をよく耳にしますが、 これは適切な表現なのでしょうか?語源的には 「とんでもーない」 です。 その場合は 「ない」 を丁寧な 「ございません」 とすることができます。 しかし、 既に全体として 「とんでもない」 という一語になった形容詞とされています。 そのため丁寧な表現にすると 「とんでもないことでございます」 が適切な表現となります。 しかし 「とんでもない」 は普通の形容詞から転じて 「相手の言葉に対して強く否定する気持ちを込めて言う時の 『あいさつ語』 としての用法も一般化しています。 ですから、 場合によっては不適切な使い方とは言えないこともあります。 例えば、 他人に褒められて謙遜する時には 「とんでもございません」 と言いますね。
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「鳥肌が立つ」 は本来、 寒いときや恐怖を感じた時などに使う言葉だと思いますが、 最近は感動した時に使う人が増えました。 違和感があります。おっしゃる通り、 「鳥肌が立つ」 はマイナスイメージを伴った使い方をする言葉です。 ところがNHK放送文化研究所が 「鳥肌が立つような深い感銘を覚えた」 という表現を どう感じるか調査したところ、「おかしくない」 が平成4年には32%だったものが、 平成10年には62%でした。 現在、 同じ調査をすると更に増えているでしょうね。 敢えて、 意識的に本来の意味とは別の使い方をすることで 「感動した」 という言葉だけで は表現しきれないくらい、 心が動かされたということを言いたいのかも知れません。 実は、 生理学的には、 感動すると本当に鳥肌が立つことが実証されています。
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証書や賞状などには、 句読点が省略されていますが、 何か理由があるのでしょうか?句読点が日本で普及し始めたのは明治初年以来のことです。 日本文に入ってきたのは西洋の文章の 翻訳からです。 本来、 日本には句読点はなかったのです。 証書や賞状などは、 その伝統を守っているのですね。 筆を使って手紙を書く人は、 今でも句読点なしで描くのが 普通です。私たちの日常会話を考えると、 声には句点も読点もありません。 昔の人は、 声で聞いても意味が通じるように文章を書くことを心がけていたのではないでしょうか。 これは、 ことばによるコミュニケーションを考える上で、 とても役に立つと私は考えて います。
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目上の人や、敬意を表すべき人に対して「お申し伝えください」という表現を聞くことがありますが、敬語表現として正しいのでしょうか?尊敬表現「お~ください」の形にはなっています。しかし「申し伝え」が気になるの ですね。これは本来「言い伝える」の謙譲語とされています。 従って「お伝えください」とすれば違和感はないですね。 「申す」は「言う」の謙譲語Ⅱです。ところが「申し出る」「申し込む」などの複合動詞として使われる場合は、今日では謙譲の意味は全くないと解釈されています。そのため、 これらを尊敬表現にする場合は「申し出られる」「お申し出ください」「お申し込みください」「お申込みになる」のようにすればよいと文化庁が説明しています。その他「申し送る」「申し合わせる」「申し入れる」なども同じとしています。 そこで「申し伝える」も複合動詞と考えれば、「お申し伝えください」は正しい尊敬表現ということができます。どう受け止めるかは、人によって違うのではないでしょうか。(私見ですが「申し伝える」には謙譲の意味を強く感じています。) (また「お申し出ください」の代わりに「おっしゃってください」を使っています。)
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「を」の発音は「O」でしょうか「WO」でしょうか?現在では「お」と同じ「O」のみです。文科省もそのように指導しています。 発音は時代によっても、地域によっても異なります。現代は「ゐ」「ゑ」の文字も使わなくなり、発音も「い」「え」と同じですね。平安時代には「HA・HI・HU・ HE・HO」ではなく「FA・FI・FU・FE・FO」でした。「花」は「FANA」です。 とすると「日本」は「NIHON」ではなく「NIFON」になりますね。
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職場で「ご質問はございますでしょうか」とう表現は二重敬語なので誤りと いう意見があり、私は正しい表現だと思いますが明確には説明ができません。結論から言えば、おっしゃる通り二重敬語ではありません。 「ございますでしょうか」を分析してみましょう。 「ございます」は「ある」(補助動詞)の丁寧語です。問題は「でしょう」です。 ご質問の中で「でしょう」は「です」の丁寧表現と解釈していますが誤解です。 そのために、二重敬語ではないという説明が難しくなったのです。 「でしょう」は断定の助動詞「です」の未然形に推量の助動詞「う」の付いたものです。 つまり「だろう」の丁寧体であり、推量の丁寧な言い方なのです。 相手に問いかけ、同意を求めるのに用いることが多いとされています。 そこに疑問の意を表す、係助詞「か」が付いているのです。 従って「ございますでしょうか」を元に戻すと「あるだろうか」となります。 「質問はあるだろうか」ですね。「質問」「ある」「だろう」「か」は別々の言葉ですから、それぞれを敬語表現に変えても、二重敬語にはならないのです。 (私は「ございます」を相手に対して使う時には気を付けています。 理由は「ございます」は「私でございます」のように、もっぱら自分側のことを述べるとき に使われるようになり、相手に使うと違和感を与えてしまう心配もあるからです。 「お客様は山田様でございますか」ではなく「お客様は山田様でいらっしゃいますか」と する例を多く耳にするのは、そのためです。―文化庁も同様の説明をしています。―)
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「燃ゆ」のアクセントについて迷っています。「萌ゆ」を頭高にしているので、 区別するために「燃ゆ」は(平板)にしたいのですが、良いでしょうか?「燃ゆ」「萌ゆ」どちらもアクセント辞典には載っていません。 国語辞典の中には、両語とも採用していないものもあります。 名詞化した「燃え」「萌え」も国語辞典によって採用の仕方が異なります。 NHKアクセント辞典では「燃え」「萌」どちらも(平板)としています。 そこで、「燃ゆ」「萌ゆ」どちらも(平板)にしておくことをお勧めします。 (私事ですが「モ\エモ\エ」と聞くと「ム\カムカ」してしまいます。)
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